「美人」と言う場合、その線引きは当然ながら、各々が持っている、私基準 に拠っているはずだ。Aさんが「彼女は美人だ。」と強調する場合でも、他の人には、そうは思えないということがまま起こる。だからあらかじめはっきりさせておくのだが、私の美人基準は次のようなものだ。

目鼻立ちのバランスに破綻がなく、ハッとするくらい見事な顔立ちの女性を、タレントやモデルや女優の中に見つけることができるだろう。まれなことではない。これも「美人」という要素として、大きなポイントに違いない。眉と目の始まりの位置関係、両目の端と鼻の先端を結んだ線の角度、唇と目の大きさの関係・・・

私は学生の頃、似顔絵描きに夢中になった時があり、古本屋で「スクリーン」(映画雑誌)を買って来ては、女優男優の写真から手当たり次第に似顔絵を描き起こしていた。この時に目鼻立ちのバランスということに関心を抱き、黄金比なるものが、顔の造作にもあることを確信したのだ。だから黄金比にかなった顔立ちをもって「美人」と呼べばこれが絶対的基準として成り立つはずである。

ならばと、その比に従って誰の似顔絵でもなく、顔を描くとどうなるか。理想的な目、理想的な鼻、理想的な顔のライン、・・・リアリティのないマネキンの顔になるのである。これをもって「おお、美人だ!」という感想などかけらも生まれてこない。

体温を感じることができない。息遣いが聞こえてこない。
つまりはこれだ。雰囲気といってもいい。
これが欠かせない要素になるのだ。そうなると、顔の造作に少々バランスを持ち崩している部分があっても、一旦それは横に置いといて、この「雰囲気」に目がいくことになる。

だから私が「美人」という場合、それは顔の造作にもまして、表情になんらかの雰囲気を色濃く漂わせているために、過ぎ去る景色として見過ごすことのできない女性ということになる。 目に力強い輝きを持ち、生き生きとした表情があふれ出ている人、ようやく愁眉を開いたのだろうか、今にも笑みがこぼれ出そうな人、屈託を噛み殺して耐えている人・・・

それではと、意地悪なあなたは言うかもしれない。造作のバランスが見事に整い、しかもビビッドな表情があふれでる女性がいたら、おまえは悶死することになるだろう・・・

しそうになったことがある。